私たちが初めて出会ったのは、いまから 11年前。
日本で開催されたフラメンコ公演での共演でした。
夫はスペインから招聘されたギタリストとして、
私は日本で活動していたフリーのダンサーとして舞台に立っていました。
リハーサルで初めて音と身体が重なった瞬間、
「この人とは、ずっと前から一緒にいたのでは?」
と思うほど、呼吸が驚くほど自然に合いました。
そしてその短い時間の中で、私たちはあっというまに惹かれ合い、
流れに身を委ねるようにして電撃結婚へと進んでいきました。
✨ 日本を離れるという決断
ただひとつ、大きな問題がありました。
彼はスペインに住んでいたのに対し、
私は日本で生活も仕事も、人間関係も築いていたということ。
スペイン語はゼロ。
けれど「なんとかなるさ!」という勢いと、
舞台で生きてきたからこそ信じられる直感と感覚だけを頼りに、
私は、これまで築いてきたものも、大切な家族との日々も日本に残していく覚悟を決めました。
新しい国へ飛び込むというより、
“自分の人生が動く音”を確かに感じたのです。
✨ 半分の自分に出会う旅
私は色んな国の混血で、アジアとヨーロッパ――
ふたつの大陸のルーツを持って日本に生まれました。
ざっくり言えば、アジアとヨーロッパのハーフです。
けれど、ヨーロッパの側とはまったく縁のない人生 を歩んできました。
もう半分の自分に、触れるきっかけすらありませんでした。
だからこそ、
マドリード行きを決めたあの頃、私はすでに
“自分の半身を辿る旅が始まる” ことを強く感じていました。
新しい国へ向かうというより、
長いあいだ眠っていた もうひとつのルーツへ戻っていく ような感覚だったのです。
そして――
あの日を境に、もう半分の自分自身を知る旅が静かに始まった。
✨ 理想と現実の間で揺れながら
スペインでの生活がすぐに華やかになるわけではありませんでした。
私たちは舞台を軸に働き続けたものの、
収入は安定せず、暮らしは決して楽ではありません。
特にマドリードは家賃も生活費も高く、
移住してすぐの頃は
「生活ってこんなにお金がかかるの?」
と驚くばかり。
そして国際結婚ゆえの願い――
「年に一度は日本へ帰りたい」
その想いと現実のギャップに、ため息が出る日もありました。
舞台での充実と、生活の不安。
その両方を抱えながら暮らす毎日は、揺れながらも確かに前へ進んでいました。
✨ そして訪れた、大きな転機
ある日、夫は人生を大きく変える決断をします。
それは、
スペインのコンセルバトリオ(音楽・舞踊学校)の国家試験に挑戦する
という選択でした。
パンデミックで舞台の仕事が激減していた時期、
あえて険しい道へ踏み出す彼の姿には、
舞台の上で見せるどんな強さよりも深い覚悟が宿っていました。
この挑戦こそが、私たちの生活、働き方、価値観を
大きく動かしていくことになります。
✨ このブログで綴っていくこと
第一話では、舞台での出会い、
そして私がすべてを日本に置いてマドリードへ飛び込むまでの記録を綴りました。
けれど、これはまだ “始まりの始まり” にすぎません。
異国での最初の共同生活は、
新鮮さと戸惑いが入り混じった濃密な日々で、
その裏側には、私たちが避けて通れない 大きな決断 が
静かに、しかし確実に近づいていました。
言葉も文化も知らないまま飛び込んだスペインで、
私はどんなふうに “半分の自分” と向き合い、
どんな選択を迫られていくのか。

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