※この記録は、第3話から続いています。
▶ 第3話|境界に立つ
境界に立つことを受け入れてから、
世界の見え方が、少しだけ変わった。
日本での活動について、
いくつかの現場の方と
話をする機会をいただいている。
自治体や教育の現場、
文化に関わる人たちとの対話。
まだ、何かが決まったわけではない。
けれど言葉を交わす中で、
自分がどこに立っているのか、
その輪郭が、少しずつ見えてきた。
私にとって、フラメンコは
ひとつの表現手段にすぎない。
本当にやりたいのは、
文化と文化のあいだに
橋をかけることだ。
私は幼少期、
海外の文化に触れる機会のほとんどない
環境で育った。
ヨーロッパ側のルーツを持つ父はいたが、
それが世界へと広がる
窓になることはなかった。
ただ周囲と比べて、
名前が違うこと、
容姿が違うこと。
「なぜ自分だけが違うのか」
その問いを、長いあいだ抱えていた。
初めてその感覚がほどけたのは、
高校生のときだった。
偶然目にした
アメリカの女性シンガーグループの姿を通して、
自分の容姿が
特別でも異質でもなく、
ただ別の場所では
ごく普通なのだと知った。
世界の見え方が、
静かに反転した瞬間だった。
フラメンコにとことん向き合うことを
決めた頃、
私はまだ迷いの中にいた。
縁あって所属した教室で
プロを目指すことになり、
結果として、逃げ場のない場所で
フラメンコと向き合う日々が始まった。
厳しく、苦しい毎日だった。
けれど振り返れば、
フラメンコと向き合うことは、
そのまま自分自身と
向き合うことでもあった。
もしあのとき、
フラメンコに出会っていなかったら。
もし半ば強制的にでも
プロを目指す環境に身を置かなければ、
今の私は存在していなかったと思う。
暗闇の中で、
どこかで道を踏み外していたかもしれない。
私にとってのフラメンコは、
どれだけ追いかけても届かない存在でありながら、
進む方向を示してくれる
ひとりの先生のようなものだ。
そこには、
技術や様式を超えた
確かな「意思」があると感じている。
私の夫は、
10代の頃からフラメンコの世界に身を置き、
光も闇も引き受けながら
それと共に生きてきた人だ。
フラメンコは、
彼の職業というより、
すでに身体の一部のような存在だ。
あるとき、
私がフラメンコに対して抱いてきた
率直な思いを伝えたことがある。
すると彼は、
ごく自然にこう言った。
「自分も、フラメンコに敬意を持っている」と。
立場はまったく違う。
私は外国人として、
異国でフラメンコを学んできた。
彼は本場で、
深く、濃い世界の中に身を置いてきた。
それでも、
フラメンコに対する感覚は同じだった。
そのとき、
はっきりと気づいた。
これは、私たち二人だけの話ではない。
フラメンコの世界に身を置き、
切磋琢磨しながら生きている人たちにとって、
フラメンコは
単なる音楽のジャンルでも、
芸術のカテゴリーでもない。
それは、
向き合う対象であり、
敬意を払う存在なのだ。
私がフラメンコを
「ツール」だと呼ぶとき、
それは軽んじているという意味ではない。
むしろ、
敬意をもって
外へと手渡したいからこそ、
そう呼んでいる。
フラメンコを通して、
異なる文化のあいだに立ち、
言葉をつなぐ。
それが、
今の私が立っている場所だ。
まだ、
はっきりとした形はない。
けれど、
内側で整ったものは、
いずれ外へにじみ出していく。
この記録もまた、
その途中にある。
※この記録は、次へと続いていきます。
▶ 第5話|(未定)


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