前回の第5話では、内側の問いが整ったあと、
はじめて外の世界と触れ始めた場所について書いた。
▶︎ 第5話|内側が整い、はじめて外と触れ始めた場所
https://japantospain.com/episode5-ekkyo-erabinaosu/
ヨーロッパでは、芸術や文化に対する取り組みが、
社会の仕組みの中に比較的積極的に組み込まれている。
家庭の経済状況に関わらず、
才能や意欲があれば学ぶ機会に触れられる道が用意されている。
一方で日本では、
芸術や文化に触れる入り口が、
家庭の状況に大きく左右されやすい。
習い事は、金銭的に余裕のある家庭でなければ続けにくく、
ひとつの分野を専門的に学ぼうとすれば、
時間も費用も、想像以上にかかってしまう。
このままでは、
芸術や文化が社会の中で育っていく速度は、
どうしても遅くなってしまうのではないか。
そう感じる場面は、これまで何度もあった。
とくに若い世代には、
早い段階で、世界の広がりに触れてほしい。
そう願いながらも、
それを支える仕組みが十分とは言えない現実がある。
二年前、日本で過ごしたとき、
子ども食堂や自治体と関わりながら、
できるだけ負担の少ないかたちで、
ボランティアとして活動してみたことがある。
私はスペインを拠点にしているため、
日本で活動できる時間は限られている。
その中で、可能な形を探しながら、
いくつかの試みを重ねてきた。
やってみて、はじめてわかることがある。
頭で考えているだけでは見えなかった現実が、
実際に関わることで、
少しずつ輪郭を持って立ち上がってくる。
「すべての子どもたちに、等しくチャンスを開きたい」
その思いは、今も私の中にある。
美しい理想だと思っている。
けれど、現実はそう簡単ではなかった。
ひとりの個人が、善意だけで担える範囲には、
はっきりとした限界がある。
関わることはできても、
それを継続していくことは、ほとんど不可能だった。
これは、私一人の話ではない。
どの分野であっても、
生活を支えながら続けていこうとすれば、
同じ壁にぶつかるのだと思う。
教える側も、生きていかなければならない。
理想だけでは続かない、という現実がある。
話はどうしても、
個人の努力を超えた構造の問題へと行き着いてしまう。
さらに言えば、
日本でフラメンコを知っている人は、決して多くない。
当時は、
フラメンコを知ってもらいたいという思いも抱きながら、
活動していた。
けれどそれは、
短い時間で伝えられるものではない世界だということを、
すぐに思い知らされることでもあった。
私自身、フラメンコを始めた当初は、
その奥深さをほとんど理解できていなかった。
ただ、プロを目指すことになり、
がむしゃらに続けていただけだったと思う。
本当の良さが、少しずつ見えてきたのは、
ある程度その世界に身を浸し、
本場のフラメンコを、
時間をかけて見続けたあとだった。
文化は、
知識として伝えれば理解できるものではない。
時間をかけて、
身体で受け取り、
ようやく腑に落ちていくものなのだと思う。
異なる文化の中で育まれてきた常識を、
まったく別の歴史を辿ってきた国の中に持ち込めば、
どこかに歪みが生まれてしまう。
その歪みを引き受けるのは、
仕組みではなく、
いつも目の前にいる一人の人間だった。
だから私は、
立ち止まっていた。
この連載は、第1話から順に読むこともできます。
▶︎ 連載一覧|境界に立つということ
https://japantospain.com/from-japan-to-madrid/


コメント